第8-28日 Vol.223  采女の中に於て娯樂快樂せん 【普賢菩薩勧発品第二十八】(四十五~五十二行)



 
★★ きょうの謎!
 
その謎1:普賢菩薩の言いたいことは、ただ書写のみをする、それだけでも大そ
     う優遇された喜びを得ることができるのだから、さらに受持・読誦し、
     思惟して解脱して、一生懸命に説の通りに修行したならば、それはも
     っと完璧で最高な大功徳を達成できるという意味でしょうか?
   
その謎2:八万四千の天女とは、妙莊嚴王の後宮の眷屬の数を意味しているので
     しょうか?
 
 
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■■第8-28日  Vol.223
 
 采女の中に於て娯樂快樂せん
 
  【普賢菩薩勧発品第二十八】
   (四十五~五十二行)
 
■■今日の一偈一句
 
 モ ジュジ ドクジュショウオクネン  ソ ギシュ ゲ セツ ゴト シュギョウ      マサ
 若し受持し讀誦し正憶念し、其の義趣を解し説の如く修行することあらん。當
 
  シ     コ ヒト フゲン ギョウギョウ    ムリョウムヘン ショブツ トコロ オイ フカ
 に知るべし、是の人は普賢の行を行ずるなり。無量無邊の諸佛の所に於て、深
 
  ゼンゴン ウ     モロモロ ニョライ ミテ      ソ コウベナ      エ
 く善根を種えたるなり。諸 の如來の手をもつて、其の頭を摩でたもうを爲ん。
 
 モ タダショシャ    コ ヒト ミョウジュウ マサ トウリテンジョウショウ    コ トキ  マン
 若し但書寫せんは、是の人、命終して當に?利天上に生ずべし。是の時に八萬
 
  セン サイニョ  モロモロクギガクナ   キタ  コレ ムカ   ソ ヒトスナワ ポウ カムリ キ
 四千の天女、 衆の伎樂を作して來つて之を迎えん。其の人即ち七寶の冠を著
 
   サイニョ ナカ オイ ゴラクケラク    イカ イワ ジュジ  ドクジュ ショウオクネン  ソ
 て、采女の中に於て娯樂快樂せん。何に況んや受持し、讀誦し、正憶念し、其
 
  ギシュ ゲ  セツ ゴトシュギョウ
 の義趣を解し、説の如く修行せんをや。
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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もし受持し読誦し正憶念(しょうおくねん:思惟)し、その義趣を理解し説の如
 
くに修行することがあるならば。當に知るべし、この人は普賢の行を行じている
 
ことであります。無量無辺の諸佛の所に於て、深く善根を種えたと同じなのであ
 
ります。よって諸々の如來の手をもって、その頭を摩でられることに値します。
 
もしもただ書写の修行だけしたとすれば、この人は、命終してから當に刀利天上
 
に生ずることになるのです。この時に八万四千の天女が、衆々の伎楽を奏しなが
 
ら来りてこの人を歓迎することでしょう。その人はすぐにも七宝の冠をかぶり、
 
采女の中に於て娯楽・快楽に過ごすことができるでしょう。結局何をすべきかと
 
いえば受持し、読誦し、正憶念し、その義趣を理解し、説の如く修行することな
 
のです。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回、普賢菩薩は、釈迦に対し普賢神通の虎の子の宝である二十句の陀羅尼神呪
を説いてみせました。そしてこれぞ普賢威神の力なりと念を押しました。
 
今回、普賢菩薩はこの陀羅尼を受持・読誦して思考深く正憶念して、その義の趣
を理解することで、その説の通りに修行したとすれば、その人は普賢菩薩の実際
の修行を実体験したに等しいと告げました。
なおこの修行は無量無辺の諸佛の身元に於て深く善根を種えたことに等しく値す
るために、さまざまな如来の直接の手によってその人は頭を撫でてもらえること
を得ると言っています。
 
尚、もし単にこの陀羅尼を書写することだけをするとすれば、この人は命終をし
て當に天上界の刀利天に生れることができるそうです。
そして、その人がそうなった時、八万四千の天女が現れて、大衆の好む様々な伎
楽を奏でて舞い降りて来てその人を歓迎するそうです。
 
そしてその人はすぐにも七宝の冠をかぶり、采女に取り囲まれて娯楽・快楽に過
ごせるということです。
即ち、それは何を言おうとしているのか、受持し、読誦し、正憶念し、その義趣
を理解して、説の如くに修行することであると普賢は言っているようです。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:普賢菩薩の言いたいことは、ただ書写のみをする、それだけでも大そ
     う優遇された喜びを得ることができるのだから、さらに受持・読誦し、
     思惟して解脱して、一生懸命に説の通りに修行したならば、それはも
     っと完璧で最高な大功徳を達成できるという意味でしょうか?
   
その謎2:八万四千の天女とは、妙莊嚴王の後宮の眷屬の数を意味しているので
     しょうか?
 

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法華経 序品第一

 

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8-28

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コメント: 4
  • #1

    ぶっけん (水曜日, 28 12月 2016 20:40)

    普賢菩薩の修行法には釈迦が最終的に勧める説法する修行がなぜか抜けています。
    ところで、具体的に言えば書写することは序の口の修行ということを普賢菩薩はここで教えたいのだと思います。
     
    そこで、釈迦の簡略に示す修行法には受持・読誦・書写・説法という区分がよく法華経の中に出てきますが、たとえば、書写の修行者と説法の修行者とではどちらが数で多いでしょう?
    それは安易に始められる分、案外にも書写だと思いますが、それだけ同じ修行の中で優位に勝ち得ようとする競争率は高いのですから、書写をしなくとも説法を目指せば、かなり有利に勝ちやすいということです。
      
    多くの人がしているようで意外にもしていないことを選ぶことの有利さを教えているのではないでしょうか?

  • #2

    ぶっけん成安田 (木曜日, 28 12月 2017 08:56)

    法華経の最後の章に現れた普賢菩薩とは・・
    采女に囲まれた娯楽の中で一番の賢さになって大人気になる菩薩なのです。
    ところでこの普賢菩薩はなぜ法華経の一番最後に現れたのでしょう?
    なぜかお開きパーティーという感じを受けますが、修行を達成した者はたくさんの采女に囲まれるという褒美を用意している菩薩なのです。
    釈迦仏はその普賢菩薩をとても誉めているという法華経最後の謎は、何とも不可思議な清々しい思いで終わっているのです。

    (ぶっけん成安田)

  • #3

    ぶっけん (木曜日, 28 12月 2017 10:47)

    知らぬが花の禁断の木の実

  • #4

    ぶっけん (木曜日, 28 12月 2017 11:28)

    戦争と救済を同時に起こさないようにしよう!

    戦争の時は戦争を知る
    救済の時は救済を知る

    どちらも釈迦牟尼仏を見るのかもしれない

    戦争も救済も区分が付かないのが無上の修行道

    それが地上の星かもしれない

    戦争=助け合いでは可笑しい