第7-6日 Vol.174  須菩提は、最後身に於て佛に成爲 【受記品第六】(四十~四十五行)

法華経 授記品第六


★★ きょうの謎!
   
その謎1:四大弟子のうち最初に授記された摩訶迦葉と今回授記された須菩提はほぼ
     同じような成佛の内容なのでしょうか?
   
その謎2:摩訶迦葉も須菩提も同じく最後身において成佛するというのは、どういう
     意味の成佛の仕方なのでしょうか?
 
 
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■■第7-6日 Vol.174
 
 須菩提は、最後身に於て佛に成爲
 
  【授記品第六】
  (四十~四十五行)
 
■■今日の一偈一句
 
 ソ トキ  セソン モロモロ ダイデシ ココロ ショネン シロ     モロモロ ビク ツ
 爾の時に世尊、諸 の大弟子の心の所念を知しめして、諸 の比丘に告げたまわく、
 
 コ シュボダイ トウライセ  オイ    マンノクナユ タ ホトケ ブゴン  クヨウ クギョウ ソンジュウ
 是の須菩提は當來世に於て、三百萬億那由他の佛を奉覲して、供養・恭敬・尊重・
 
 サンダン ツネ ボンギョウシュ ボサツ ドウ グ  サイゴシン オイ ホトケ ナ ル   エ   ナ
 讃歎し、常に梵行を修し菩薩の道を具して、最後身に於て佛に成爲ことを得ん。號
 
  ミョウソウニョライ オウグ ショウヘンチミョウギョウソクゼンゼイセケンゲ ムジョウジ ジョウゴジョウブテンニンシ
 を名相如來・應供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・
 
 ブツ セソン     コウ ウホウ  ナヅ クニ ホウジョウナヅ
 佛・世尊といわん。劫を有寶と名け、国を寶生と名けん。
    
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その時に世尊は、諸々の大弟子の心の願いを存じ上げて、諸々の比丘に対し告げられ
 
た、この須菩提はすぐに来世に於て、三百万億那由他の佛を観覧奉りて、供養・恭 
 
敬・尊重・讃歎し、常に梵行を修めて菩薩の道を身に付け、最後の身に於て佛に成る
 
状態を得る。その名号を名相如來・應供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・
 
調御丈夫・天人師・佛・世尊という。劫を有宝と名け、国を宝生と名付ける。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回までに、四大弟子筆頭の摩訶迦葉の授記に続き、残りの三弟子の大目健連・須菩
提・摩訶迦旃延などは一心に合掌し釈迦を瞻仰して声を共にして偈を説きましたが、
その偈には譬諭として、飢えた国から来た者たちが大王の食事の招待に遭ってもすぐ
には自ら食べれず、大王の教えをよく聞いてしばらく自身で納得した後に食べると同
じで、佛の一言の命令だけでは従うことが出来ず、しっかりした佛の授記儀式を戴け
るなら安心して修行に打ち込めるという内容を詩っていたのでした。
 
それは大弟子でもあり未だ声聞の身を保守してきた立場での戒めや心がけのように感
じられるものですが、無理に菩薩になれと指導する釈迦への正直な駆け引きともつけ
る願いでもあるようです。
 
そして今回は、その大弟子たちの心をよく理解した釈迦は、諸々の比丘僧たちに向か
って告げられたのです。
それは、大弟子の一人である須菩提はまさしくもう直の来世において、三百万億那由
他の佛に観じ奉りて、供養・恭敬・尊重・讃歎し、常に梵行を修め菩薩の道を踏み固
めて、最後の身として成佛を迎えるということです。
 
そして、その佛の名号は、名相如來・應供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上
士・調御丈夫・天人師・佛・世尊といい、劫を有宝、国を宝生と名付けられました。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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さて、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
   
その謎1:四大弟子のうち最初に授記された摩訶迦葉と今回授記された須菩提はほぼ
     同じような成佛の内容なのでしょうか?
   
その謎2:摩訶迦葉も須菩提も同じく最後身において成佛するというのは、どういう
     意味の成佛の仕方なのでしょうか?
 

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法華経 序品第一

 

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7-6

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コメント: 9
  • #1

    ぶっけん (月曜日, 06 11月 2017 12:36)

    お釈迦様が弟子たちに行っている授記とは修行者各々一人一人に対する資格登録認定のようなものです。
    それも遠い将来に成仏できる資格を得ることになるという予言や保証のようなものです。
    成仏とは仏の位に出世できることであり、授記とはその将来に成る仏の名前とどういう性質の仏に成るかの予言と保証なのです。
    仏からこの授記を貰った弟子たちは絶対その誓いを果たさなければならないのです。
     
    (ぶっけん)

  • #2

    仏教 (土曜日, 07 7月 2018 11:09)

    オウム事件 1995年以来、初めて七人の死刑執行

  • #3

    ぶっけん成安田 (土曜日, 07 7月 2018 11:11)

    ただ人として孤独な滅度を得るとはせず。
    すべて如来の滅度をもって、これを滅度とせり。

    すでに滅度せりと思えり。
    されど、実には滅度せず。
    ただ如来の滅度をもって
    これを滅度せりとする。

    裁くも、裁かれるも、
    濁悪の中での滅度の過信

  • #4

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:18)

    真実への道とは
    真実を悟る修行の方法であり
    真実を必ず覚れる確信のある者である

  • #5

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:20)

    裁くも、裁かれるも、
    濁悪の世の中での滅度の過信

  • #6

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:20)

    すでに滅度せりと思えり。
    されど、実には滅度せず。
    ただ如来の滅度をもって
    これを滅度せりとする。

  • #7

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:21)

    ただ人として孤独な滅度を得るとはせず。
    すべて如来の滅度をもって、これを滅度とする。

  • #8

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 7月 2018 17:23)

    修行の道には入口門があれば出口門も別にあるのだ。
    修行とは後戻りが出来ないために家の玄関のように出入り共有の門ではないのが正式だ。

  • #9

    NariYasu (火曜日, 16 7月 2019 08:34)

    真実への抜け道は後戻りできない