第8-2日 Vol.198  今是の義の所趣を知らず 【方便品第二】(四十五~五十一行)

法華経 方便品第二

 
★★ きょうの謎!
 
その謎1:阿若驕陳如等の千二百人の意味は何でしょうか?
 
その謎2:「我等もまたこの法を得て涅槃に到れり」とはどういうことなのでしょうか?
 
その謎3:釈迦に対して心に生じた疑念のパターンは、序品の弥勒菩薩と大衆の場合と、舍

     利弗と大衆の関係の場合とはほぼ同じようなケースといえるのでしょうか?
 
 
■■第8-2日  Vol.198
 
 今是の義の所趣を知らず
 
  【方便品第二】
  (四十五~五十一行)
 
■■今日の一偈一句
  
 ソ トキ ダイシュ ナカ  モロモロ ショウモン ロジン アラカン アニャキョウヂンニョトウ    ニン
 爾の時に大衆の中に、諸 の聲聞・漏盡の阿羅漢・阿若驕陳如等の千二百人、
  
 オヨ ショウモン ビャクシブツココロオコ  ビク  ビクニ  ウバソク ウバイ    オノオノコ
 及び聲聞・辟支佛の心を發せる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷あり。各 是の
  
 ネン ナ    イマ セソン ナン ユエ オンゴン ホウベンショウタン   コ ミコト ナ
 念を作さく、今者世尊、何が故ぞ慇懃に方便を稱歎して、是の言を作したもう。
 
 ホトケ エ    トコロ ホウ ジンジン  サト ガタ ゴンゼツ   トコロ   イシュシ
 佛の得たまえる所の法は甚深にして解り難く、言説したもう所あるは意趣知り
  
 ガタ   サイ ショウモンビャクシブツオヨ   アタ   トコロ  ホトケ  ゲダツ ギ ト
 難し。一切の聲聞・辟支佛の及ぶこと能わざる所なり。佛、一解脱の義を説き
  
        ワレラ  マタコ ホウ エ  ネハン イタ   シカ  イマコ  ギ ショシュ
 たまいしかば、我等も亦此の法を得て涅槃に到れり。而るに今是の義の所趣を
 
 シ
 知らず。
  
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その時に大衆の中に、諸々の聲聞や漏を尽くした阿羅漢として阿若驕陳如等の千
 
二百人、及び聲聞・辟支佛になろうと心を起こした比丘・比丘尼・優婆塞・優婆
 
夷が居た。それらは各々にこのように思った、今何者かの世尊は、どういう意味
 
で丁重に心をこめて方便を褒め称えるようにして、この言葉を示されたのだろう。
 
佛の得ることができたという法は甚だ深みがあって解り難く、言葉により説明し
 
た所に関しては意趣が知り難い。一切の聲聞・辟支佛の力では及ぶことはできな
 
い所である。佛は、ただ一つ解脱の義を説いてくれたのだが、我等もまたこの法
 
を得て涅槃に至れた。しかし今この義の意味する所を知らない。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回、釈迦は、舍利弗への説教の偈を説きました。
今回はその偈が終わると、どうやら釈迦の舍利弗への説法と偈の内容をことごと
く一緒に聞いていたと思われる大衆がその舍利弗と同じ場に居たことがここで初
めてわかりはじめます。
 
その大衆の中には阿若驕陳如をはじめ諸々の聲聞や漏盡の阿羅漢たちが千二百人
居て、その他に聲聞や辟支佛(縁覚)の位をこれから目指す比丘・比丘尼・優婆
塞・優婆夷の四衆も居たとあります。
 
そして、その聲聞・阿羅漢・四衆の大衆は、各々にこのように心の中に思ったそ
うです。
『 今はまだ何者かは判らないこの世尊は、何を理由に心がけて方便を敬って褒
め称え、この説法を話されたのだろう。佛だけが得れるという所の法は甚だに深
い智慧にあって解説し難く、言葉にして説いた所ではその意味は知ることが難し
い。一切の聲聞・辟支佛の知る所ではない。
佛は、一つの解脱の義をお示し下されたが、我等もまたこの法によりて涅槃に至
ることができたのだ。しかしながら今はこの義の本来の意味を知らないのだ 』
と。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:阿若驕陳如等の千二百人の意味は何でしょうか?
 
その謎2:「我等もまたこの法を得て涅槃に到れり」とはどういうことなのでし
     ょうか?
 
その謎3:釈迦に対して心に生じた疑念のパターンは、序品の弥勒菩薩と大衆の
     場合と、舍利弗と大衆の関係の場合とはほぼ同じようなケースといえ
     るのでしょうか?
 

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法華経 序品第一

 

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 4. 今 日 の 知 識 !  (道) 5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
 6. 今 日 の 振 返 り ! (脱)
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コメント: 1
  • #1

    ぶっけん成安田 (月曜日, 06 8月 2018 18:00)

    為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは義理の為さぬなりけり