第11-3日 Vol.280  菩薩を以て大寶と爲すが故なり 【比喩品第三】(六十三~七十一行)

法華経 譬喩品第三


★★ きょうの謎!
 
その謎1:釈迦は舍利弗が未來世に於て華光如來として成佛できることへの称えよ

     りも、その未來の国に住む如來と共に国の中心的存在になる計り知れな

     いほど無量の菩薩の立派さの方を称讃しているようですが?
 
その謎2:華光如來が出現してくるというその時代は悪世でなくとも三乗の法を説

     くとはどういう意味なのでしょうか?
 
 
■■第11-3日  Vol.280
 
 菩薩を以て大寶と爲すが故なり
 
  【比喩品第三】
  (六十三~七十一行)
 
■■今日の一偈一句
  
 シャリホツ  カ ホトケイ     トキ アクセ  アラ イエド ホンガン モッ  ユエ サンジョウ
 舍利弗、彼の佛出でたまわん時は惡世に非ずと雖も、本願を以ての故に三乗の
 
 ホウ ト    ソ コウ ダイホウショウゴンナヅ  ナン ユエ ナヅ ダイホウショウゴン   ソ
 法を説かん。其の劫を大寶莊嚴と名けん。何が故に名けて大寶莊嚴という、其
 
  クニ ナカ  ボサツ モッ ダイホウ ナ  ユエ   カ モロモロ ボサツ  ムリョウムヘンフカ
 の國の中には菩薩を以て大寶と爲すが故なり。彼の諸 の菩薩、無量無邊不可
 
 シギ     サンジュヒユ オヨ   アタ   トコロ   ホトケ チリキ アラズ  ヨ シ
 思議にして、算數譬諭も及ぶこと能わざる所ならん。佛の智力に非んば能く知
 
  モノ    モ  ユ   ホッ  トキ ホウケアシ  ウ  コ モロモロ ボサツ   ハジ
 る者なけん。若し行かんと欲する時は寶華足を承く。此の諸 の菩薩は、初め
 
  ココロ オコ   アラ ミナヒサ   トクホン ウ   ムリョウヒャクセンマンノクホトケ トコロ オイ キヨ
 て意を發せるに非ず。皆久しく徳本を植えて、無量百千萬億の佛の所に於て淨
 
  ボンギョウシュ ツネ ショブツ ショウタン       ウ ツネ ブッテ シュ ダイジンヅウグ
 く梵行を修し、恒に諸佛に稱歎せらるることを爲、常に佛慧を修し大神通を具
 
   ヨ イッサイショホウ モン  シ  シチヂキムギ    シネンケンゴ    カク ゴトボサツ
 し、善く一切諸法の門を知り、質直無僞にして志念堅固ならん。是の如き菩薩
 
 ソ クニ ジュウマン
 其の國に充滿せん。
 
    
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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舍利弗、彼の佛が出現される時は悪世に非ずといえども、本願があるが故に三乗
 
の法を説くのである。その劫を大宝荘厳という。何が故に名付けて大宝荘厳とい
 
うのか、その国の中には菩薩をもって大宝とするが故である。彼の諸々の菩薩は、
 
無量無辺不可思議の数にして、算数譬諭も及ぶことのない所である。佛の智力で
 
なければ正確に知る者はない。もし移動しようとする時は宝の華に足を運んでも
 
らえる。この諸々の菩薩は、初めて心を起こしたのではない。皆長らく徳本(と
 
くほん:善根に同じ、さとりを得るための善を発生、または増進せしめる根本と
 
なるものであり、善とは貪瞋痴などのないこと)を植えており、無量百千万億の
 
佛の所に於て善淨に梵行(ぼんぎょう:欲、特に婬欲を制して純潔な状態)を修
 
行し、恒久に諸佛に稱歎されることを得ており、常に佛慧(ぶって:佛の有する
 
最高の完全な智慧、佛知見のこと、最上の菩提)を修行し大神通を具足し、善行
 
に一切諸法の門を知り、性質は素直で偽り無くして志念堅固である。このような
 
菩薩がその国には充満するのだ。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回、釈迦は今これから、舍利弗など諸々の声聞の為に大乗経の妙法蓮華・教菩
薩法・佛所護念というものを説くことにしたと言うとすぐに先ず、舍利弗に対す
る未來成佛の授記を言い渡しました。
舍利弗は、未來世になって更に無量無辺不可思議の劫を経過した後、それまでに
おおよそ千万億の佛を供養をすることにより、それら諸佛の正法を奉持して菩薩
に与えられた本願所行の道を具足して、まさに成佛するということでした。
 
その佛の號は、華光如來・應供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御
丈夫・天人師・佛・世尊という名であり、その佛の住む国は離垢であると言い渡
しました。
なお、その国土の形状は、平坦かつ端正で清淨な荘厳に飾られ、安穏で豊かな暮
らしに恵まれることにより天神や人間は火の燃え盛る勢いの如く活気に満ち溢れ
ることになるそうです。
 
また、瑠璃石を地となし、八本の交差道があって黄金を縄とした道の境界があり、
その道に沿って両端各々七宝の街路樹が並び、常に華果を実らす情景があるそう
です。
華光如來は、そこでもまた三乗を説いて衆生を教化すると教えました。
 
さて今回は、更に舍利弗への成佛授記の内容の続きとして釈迦は、再度、舍利弗
に呼び掛け、その華光佛が出現しようとする時はたとえ悪世でなかろうとその佛
自身の本願であるゆえに三乗の法を説くのだそうです。
 
その出現の劫を大宝荘厳という時代名で呼ぶそうです。何故故にその名を大宝荘
厳というのかといえば、その国の中には菩薩のことを大宝とする特徴があるため
だそうです。
その諸々の菩薩は、無量無辺不可思議の総数が居て、算数や譬諭もその計量が及
ぶことのない所であるそうです。
その詳細な総数把握は佛の智力になければ到底知る者もないそうなのです。
 
なお、もしも遊説に行こうとする時は宝の華に載って足を運ばれるそうです。
また、これら諸々の菩薩は、初めて菩薩の心を起こしたのではないといいます。
それは、皆長らく善根を植えており、無量百千万億の佛の所に於て清浄に梵行を
修行し、恒久に諸佛からの称嘆をして戴けることになり、常に佛の最高で完全な
智慧を修行することで大神通を具足し、正しく一切諸法への入門を知り、性質廉
直であって偽り無くして志念が完全に固まっている者たちだからだそうです。
 
このような菩薩ばかりがその国中に遍満するということらしいのです。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:釈迦は舍利弗が未來世に於て華光如來として成佛できることへの称え
     よりも、その未來の国に住む如來と共に国の中心的存在になる計り知
     れないほど無量の菩薩の立派さの方を称讃しているようですが?
 
その謎2:華光如來が出現してくるというその時代は悪世でなくとも三乗の法を
     説くとはどういう意味なのでしょうか?
 
 

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法華経 序品第一

 

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11-3

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コメント: 5
  • #1

    安田 和正 (火曜日, 03 3月 2015 07:34)

    釈迦から作佛授記を受けた中で、まずまずのラインの弥勒菩薩。

  • #2

    ぶっけん (水曜日, 02 11月 2016 22:10)

    釈迦仏以外にもどの仏も般涅槃に入る際には、ある一人の菩薩だけに一切を任せる授記をしていく習わしがあるようです。つまり、その菩薩が次の仏として成長して君臨するということらしいです。なぜそういう習わしがあるのかは未だ解かりません。

  • #3

    ぶっけん (水曜日, 02 11月 2016 22:20)

    一切衆生を救済する!・・一切衆生憙見を救済する?

  • #4

    ぶっけん (水曜日, 02 11月 2016 22:38)

    あの世が書かせたと思うしかないくらい完ぺきな法華経だ!

  • #5

    ぶっけん (土曜日, 03 3月 2018 16:09)

    仏地位を得るために成仏するまでには修行段階として声聞地位の次に縁覚地位、そして最終的に菩薩地位へと登って行きます。
    釈迦が生涯に渡り指導してきたのは声聞の弟子達です。
    釈迦はその声聞達にいきなり菩薩になって
    成仏するように強く命じました。
    つまり、なぜか弟子達には縁覚の段階を経させないのが釈迦の教えだったのです。
    (ぶっけん成安田)