第11-14日 Vol.291  末法の中に於て是の經を説かんと欲せば 【安楽行品第十四】(六十三~六十七行)

安楽行品第十四 法華経


★★ きょうの謎!
 
その謎1:当初から「末法の中に於て」とあるのは、法華経を説くなら如來滅後の

     正法・像法の時ではなくて末法になってからであることを意味するもの

     でしょうか?
 
その謎2:安楽行とは、安住すべき四法の内、初めの行處・親近處の次の第二番目

     の法ということでしょうか?
 
その謎3:「声聞の人に於て亦名を稱して・・」とあるのは、釈迦は前品の菩薩摩

     訶薩たちが平気で悪比丘を批判していることに対してはまだしも、菩薩

     が声聞に対して批判することは許せないということなのでしょうか?
 
 
■■第11-14日  Vol.291
 
 末法の中に於て是の經を説かんと欲せば
 
  【安楽行品第十四】
  (六十三~六十七行)
   
■■今日の一偈一句
 
 マタモンジュシリ ニョライ メツゴ マッポウ ナカ オイ コ キョウ ト   ホッ   アンラクギョウ
 又文殊師利、如來の滅後に末法の中に於て是の經を説かんと欲せば、安樂行に
 
 ジュウ   モ  クチ センゼツ モ  キョウ ヨ  トキ ネガ  ヒトオヨ キョウデントガ ト
 住すべし。若しは口に宣説し若しは經を讀まん時、樂つて人及び經典の過を説
 
     マタショヨ  ホッシ キョウマン   タニン  コウアクチョウタン ト    ショウモン ヒト
 かざれ。亦諸餘の法師を輕慢せざれ。他人の好惡長短を説かざれ。聲聞の人に
 
 オイ マタナ ショウ  ソ  カアク ト     マタナ ショウ  ソ ヨ  サンダン
 於て亦名を稱して其の過惡を説かざれ。亦名を稱して其の美きを讃歎せざれ。
 
 マタマタオンケン ココロ ショウ
 又亦怨嫌の心を生ぜざれ。

 
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 
____________________________________
 
  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
____________________________________
 
また文殊師利よ、如來の滅後に末法の中に於てこの経を説きたいと思えば、安楽
 
行に住すことだ。もしは口に宣説しもしは経を読もうとする時、願って人及び経
 
典の過失を説いてはならない。また諸々他の法師を軽慢(きょうまん:軽く笑い
 
ものにする、蔑視)してはならない。他人の好し悪しの長所短所を説いてはなら
 
ない。声聞の人に於てもまたその名を称してその過悪(かあく:過って責める悪、
 
過失による悪)を説いてはならない。また名を称してその美的を讃嘆してはなら
 
ない。またいつもの怨嫌(おんけん:怨み嫌み)の心を生じてはならない。
 
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 
____________________________________
 
  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
____________________________________
 
前回釈迦は、文殊師利へ説く偈の続きの最後として、釈迦の滅後に於て、行處及
び親近處に入って法華経を説けば、どの比丘も怯え恐れるものは無くなるであろ
うと言い、それが菩薩の場合も、法を観察した後、次にはその禅定の座から起っ
て、諸々の国王、王子・臣民、婆羅門等の為に、広くのびのび演説してこの経を
説けば、その心は安穏に至り 恐れ怯えることは同じく何も無くなるということ
で、これを菩薩の初めの法、即ち所親近處に安住して、上手く後の世に於て法華
経を説くと名付け、偈を終わりました。
 
今回釈迦は、次のようにまた文殊師利へ説きはじめました。
 
如來の滅後の正法・像法を過ぎた末法の中で、この経を説きたいと思うならば、
安楽行に住むべきだ。
 
それが口で他人へ宣説したりまたは経を自身で読む時には、いたずらに人及び経
典の過ちを説くことをしてはならない。
 
また、諸々の他の法師を軽蔑視してはならない。
他人の好感悪感・長所短所を説いてはならない。
 
声聞の地位ある人に対してもまた名前を挙げてその過ちの悪を説いてはならない。
また名前を挙げてその美しさを讃嘆してはならない。
またまた怨みや嫌みな心を生じさせてはならない。
 
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
 
____________________________________
 
  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
____________________________________
 
まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:当初から「末法の中に於て」とあるのは、法華経を説くなら如來滅後
     の正法・像法の時ではなくて末法になってからであることを意味する
     ものでしょうか?
 
その謎2:安楽行とは、安住すべき四法の内、初めの行處・親近處の次の第二番
     目の法ということでしょうか?
 
その謎3:「声聞の人に於て亦名を稱して・・」とあるのは、釈迦は前品の菩薩
     摩訶薩たちが平気で悪比丘を批判していることに対してはまだしも、
     菩薩が声聞に対して批判することは許せないということなのでしょう
     か?
 

ご案内

法華経 序品第一

 

★★ 今日も、お読みいただきありがとうございました ★★
 
本日品の続き解明文、【今日の謎!シリーズの答え、解説など詳細満載】
 4. 今 日 の 知 識 !  (道) 5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
 6. 今 日 の 振 返 り ! (脱)
は、有料メールマガジン『ぶっけんの毎日ホッ法華経!DM328』のご購読でお読みいただけます。どうぞご活用ください
 
購読料:月々¥840円(消費税込み)・12ヶ月完成シリーズ
ご購読希望の方は、「発行メールマガジン・SNSのご紹介」ページ からお申し込みください。 

 上記ブログをお読みになった感想、ご案内への問い合わせ等、どんなことでも構いません、下記フォームに記載の上、送信してください。🌷このメッセージフォームでの記載内容は公開されません。公開用掲示板へのコメント投稿の場合はさらに下段のコメントフォームの方からお送りください。>

メモ: * は入力必須項目です

11-14

コメントをお書きください

コメント: 3
  • #1

    安田 和正 (土曜日, 14 3月 2015 23:58)

    『釈迦の末法では通常の四法に安住せよ』

  • #2

    ぶっけん成安田 (水曜日, 14 3月 2018 15:39)

    釈迦仏はここでどうして急に塞ぎ込んだように細心の警戒を積むように指導したのでしょう?
    そして、その身を動かさず注意力だけを完璧に磨かせる指導は仏教修行者へのごくありふれた基本スタイルとしての初心をただ再認識させるようにしているだけのように思えます。

    もしかしてこれが釈迦仏特有の方便作戦による合理的な演出であるなら、じっと身構えるオーソドックスで安楽な修行の仕方を文殊師利菩薩だけに密かに説いている意味が納得行くかもしれません。

    (ぶっけん成安田)

  • #3

    ぶっけん成安田 (水曜日, 14 3月 2018 22:44)

    釈迦仏はここでどうして急に気が変わったように塞ぎ込んで警戒を積むことを入念に指導したのでしょう?
    それは、その身を動かさず細心な注意力だけを完璧に磨かせる指導は仏教修行者へのごくありふれた基本スタイルとしての初心をただ再認識させるようにしているだけのように思えます。

    もしかしてこれが釈迦仏特有の方便作戦による合理的な演出であるなら、じっと身構えるオーソドックスで安楽な修行の仕方を文殊師利菩薩だけに密かに説いている意味が納得行くかもしれません。

    (ぶっけん成安田)