第1-18日 Vol.18  随喜できることの功徳 【隨喜功徳品第十八】(一~五行)

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■■第1-18日 Vol.18
 
 随喜できることの功徳
 
  【隨喜功徳品第十八】
  (一~五行)
   
■■今日の一偈一句
 
 ソ トキ  ミロクボサツマカサツ  ホトケ モウ  モウ   セソン モ ゼンナンシ ゼンニョニン   コ
 爾の時に彌勒菩薩摩訶薩、佛に白して言さく、世尊、若し善男子・善女人あつて是
 
  ホケキョウ  キ       ズイキ  モノ  イクバク フク  エ  シカ ゲ ト  モウ 
 の法華經を聞きたてまつりて隨喜せん者は、幾所の福をか得ん。而も偈を説いて言
 
   セソン メツゴ ノチ  ソ コ キョウ キ        モ ヨ  ズイキ モノ  イクバク
 さく世尊滅度の後に 其れ是の經を聞くことあつて 若し能く隨喜せん者は 幾所
 
  フク  ウ
 の福をか得べき
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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その時に弥勒菩薩摩訶薩は、釈迦にお尋ね申した、世尊、もしも良家の男子および女
 
人がいてこの法華経を聞き奉ったとしてその素晴らしさに歓喜を生じる者は、どれほ
 
どの福を得るものなのかと。しかもこれを偈を説いて問うた。
 
 『 世尊が滅度なさる後に そのときこの法華経を聞くことあって もし素晴らし
 
  さに歓喜を生ずる者は 幾ばくかの福なりを得れるのでありましょう 』
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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喜びそのものに対しての功徳を尋ねるあたり、弥勒とはなぜか大そう拘った尋ね方を
するちょっと変わったニヒルな菩薩ですね。
何らか釈迦が人々の理解に対し大歓声が沸きあがることを不思議と気にかけている様
子を密かに探っているかのようなちょっとエグイ感じ?
 
また、善男子・善女人という呼び方は、釈迦が特に直弟子たち以外の更にそれも将来
修行者となるまだ見ぬ男女に対して幅を置いて使う尊重名詞のようです。
なお、釈迦がその時時点で善男子と愛嬌こめて呼びかけているのも弟子たち以外の比
丘や菩薩の修行者たちに対してです。
 
その時時点では釈迦は善女人としては呼びかけず善男子のみへの呼掛けであります。
つまり、入滅前の釈迦として一応男子中心に法華経護持や菩薩指導を命じていると考
えられます。
たとえば、如来壽量品第十六での重要説法の時も、諸々の善男子、とだけ呼びかけて
いるとともに善女人とは言っていません。
どうやら釈迦の頃はまだまだ男子だけを敬う一応の習慣がまだまだ常識だったのでし
ょう。
 
戦いのため、女人に対しても動員指導することはまだこの頃の釈迦自身の責任として
は曖昧だったようです。
つまり、釈迦の佛としての説法がいかにも特殊に戦略的である大きな特徴があるとい
うことがにわかに暗示されているようです。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:歓喜することの功徳とはどういうことが考えられるでしょう?
 
その謎2:釈迦は弱い立場の女人などへの救済に対してはどういう考えを持っていた
     のでしょう?
 

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  4. 今 日 の 知 識 !  (道)
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「笑う門には福来る」といいますね。
でも果たして釈迦は佛を目指す修行に於て本当に笑うことへの幸せというものを重要
視していたのでしょうか?
正しいことで歓喜できることは明るいことです。明るいということは日頃から生き方
に改善が進んでいる健全な人たちです。
何も釈迦は隨喜させてみて日頃の悩みやうっぷんを忘れれる健康効果などを特に教え
ようとしているはずはありませんよね。
 
つまり、随喜することではなく、自然に隨喜できることのこの上ないような幸福感を
言っているわけですよね。
前品でも少し説明しましたが、前世までの因果を解決できることが最高の功徳であり、
現世の人生にて前世の改善に生きる事が仏法の最大目標なのです。
ですから現世にて過去因果を解決さえできればそれだけで成佛という大目的が自然に
適う大功徳なのです。その喜びは最高に大きいのです。
 
その功徳の大きさ自体を釈迦に尋ねている弥勒菩薩にはまだまだ隨喜功徳の随って歓
喜する意味が解っていないのです。
随ってとは、他人の話、つまり他人の素晴らしい功績や優れた知識を教えてもらうと
いう意味があるのでしょう。
それがたとえ聞いた者が自分では同じ様には到底できないほど難しいことであっても
話してくれた人の自然なパワーにより大きな歓喜が生じてくるということなのです。
 
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弥勒へこの隨喜功徳が生ずる意味を解らせようとしているのがこの品の狙いなのだと
思います。
他人へ説く説法を考案したり施すことも大きな功徳だが、他人の説法をよく聴く功徳
はそれ以上にもっと大きいのだということをこの品では説いているのだと思います。
 
なお、釈迦の説法は、女人や弱い立場への救済のほうを先に考えたものではないよう
に思えます。
どうやら通常習慣で思い浮かぶ仏様イメージとはだいぶ異なっているのです。
仏様でありながらせっかち認識に詳しく思えたり、はたまた批判的なのです。
どちらかと言うと男は度胸ということを積極的に認め奨励していても、女は愛嬌とい
う概念はその良さを全く認めてないようでもあります。
 
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日蓮聖人もそのようでしたが、間違えている考えには強引に当たってでも正させるの
が釈迦の性質の一つであって、仏様の中では一番の勇猛果敢であるのです。
まるで通常の仏様の短所をそのまま長所に変えたような大威力を誇示しているのです。
そういうところを弥勒から大いに疑問を買っているものと思われます。
 
ところで、いずれ法華経を詳しく読み続けていくことで解ってくると思いますが、釈
迦は女人など弱い者中心な救済方法より先にもっと大事なことがあることを発表して
いました。
それが「一切を救う」ということです。
一切合切といった概念もまた釈迦の特徴であり、割りきり解明が非常に大きいのです。
はっきり考えれば強い者も共々救済するなのです。
 
それどころか、釈迦は強い者こそを放っては置けないのです。
強い者こそ苦難が多いのです。
通常は強い者なんだからそういうノルマは極当たり前で、強い者だけに任せておけば
よいと考えてしまう所を釈迦は違うのです。
そこが天才を超えた超如来の智慧なのでしょう。
弱い者を先に救うこと、それが真実ではないと釈迦は説いたのかもしれません。
 
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  5. 今 日 の 解 脱 !  (解)
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その者の強い部分こそ先に救済しなければならない!さて、強い部分とは一体なんで
しょう?
たとえば悪こそ強いのかもしれませんね。ある意味では釈迦は正義で勇敢な武士その
ものの様でもあります。
つまり、一番の強い勢力こそ先に正さなければならない宿敵ということなのでありま
しょう。
 
そのように考えることで仏様の世界もだいぶ現実的かつ合理的みたいだとわかってき
そうです。
釈迦以前の仏様が判断或いは決断できなかったことを釈迦は解明或いは決断した実行
威力が最大得票へ一挙に到達したのでしょう。
 
これがアジアに出現した世界史上最強の男といわれた釈迦の由縁です。
釈迦のことを名づけて「達成した人」(ゴーダマ・シッダルータ)ともいうのです。
 
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  6. 今 日 の 振 り 返 り !(脱)
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あまり知られていない釈迦の一面性こそ本当の釈迦を物語る真実であるように思えて
きましたね。
私たちが普段知っていたような釈迦は三界つまりこの世の欲界に合わせた方便の釈迦
だったとわかってくるようです。
 
しかし、方便の釈迦とはかなり難しい意味にあります。
方便とは単なるウソのことではないのです。厳密には真実の方便ということなのです。
如来である釈迦の説く方便説法は決して偽ではないのです。
 
皆さんは今日の説法で隨喜できますか? 
隨喜できなければ一喜一憂する前にすぐに改善を図りましょう。
ビジネスの戦略手法のP・D・C・Aサイクルをご存知ですか?
Pはプラン(目標を設定して計画する)
Dはドゥー(計画を実行し効果を測定する)
Cはチェック(評価し、効果を比較・分析する)
Aはアクション(改善点を実行する)です。
 
最後のアクションとは、仏法なら現在の「業」或い前世の「行」です。
ところがドゥーという最初の計画実行がありますからこれが前世の「行」に当たると
思います。
考えて実行するときはいつも「業」という「有」の時なのです。
つまり、「業」とは後の結果を作り出す大事なときですが、そのアクションは慎重に
改善点を実行することをいうのです。 
 
「郷に入れば郷に従え」という諺は土地柄のことを意味するらしいですが、これをあ
えて、仏法上「業に入れば業に従え」でも良いのではないかと私は思います。
 
今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。
末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたします。
 
  (ぶっけん)
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コメント: 1
  • #1

    bukkenn (日曜日, 17 5月 2015 18:26)

    『業に入れば業に従え』