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第2-11日 Vol.39  宝塔の中より大音声の響き 【見宝塔品第十一】(六~十一行)

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★★ きょうの謎!
 
その謎1:昔、日本にはお墓を建てる風習がなかったのはなぜなのでしょう?
   
その謎2:「平等大慧・教菩薩法・佛所護念」である妙法華経とは、どういうも
     のなのでしょうか?
 
 
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■■第2-11日 Vol.39
   
 宝塔の中より大音声の響き
 
  【見宝塔品第十一】
  (六~十一行目)
   
■■今日の一偈一句
 
    テン テン マンダラケ  フラ  ホウトウ クヨウ   ヨ ショテン リュウ ヤシャ ケンダツバ
 三十三天は天の曼陀羅華を雨して寶塔に供養し、餘の諸天・龍・夜叉・乾闥婆
 
  アシュラ  カルラ   キンナラ  マゴラガ ニン  ヒニントウ  マンノクシュ   サイ ケ
 ・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩候羅伽・人・非人等の千萬億衆は、一切の華・
 
 コウ ヨウラク バンガイギガク モッ ホウトウ クヨウ   クギョウソンジュウサンダン
 香・瓔珞・旛葢・伎樂を以て寶塔に供養して、恭敬・尊重・讃歎したてまつる。
 
 ソ トキ ホウトウ ナカ  ダイオンジョウイダ   ホ  ノタマ  ゼンザイゼンザイ シャカムニセ
 爾の時に寶塔の中より大音聲を出して、歎めて言わく、善哉善哉、釋迦牟尼世
 
 ソン ヨ ビョウドウダイエキョウボサッポウブッショゴネン ミョウホケキョウ モッ ダイシュタメ ト
 尊、能く平等大慧・教菩薩法・佛所護念の妙法華經を以て大衆の爲に説きたも
 
 
 う。
   
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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三十三天は天の曼陀羅華を雨のように降らして宝塔に供養し、その他の諸天・龍
 
・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦樓羅・緊那羅・摩候羅伽・人・非人等の千・万・億
 
の衆は、一切の華・香・瓔珞・旛葢・伎樂を用いて宝塔に供養して、恭敬・尊重
 
・讃歎しだした。その時に宝塔の中よりとても大きな声がとどろき、ほめ出した
 
のだった、すばらしいすばらしい、釈迦牟尼世尊よ、よくぞ平等大慧・教菩薩法
 
・佛所護念である妙法華経のことを大衆の為に説いてくれた。
   
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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三十三天とは以前にもお話しましたが、欲界天の一つの刀利天に住する天子のこ
とです。
その天子たちは曼陀羅華をさんさんと見宝塔の上に降らしました。
   
この曼陀羅華とは、欲界天の須弥山の頂上にある巨大な曼陀羅の樹に咲く花だそ
うですが、江戸時代の日本へ朝鮮半島から渡来して生息した植物でチョウセンア
サガオという花も曼陀羅華、或はキチガイナスビという別称を持っているそうで
す。
   
また、それ以外の諸天などの衆生の総勢もさまざまな手法で見宝塔を祝い讃歎し
ました。
すると、その宝塔の中からいきなり大きな声が響きました。
その大きな声の主は、後で出てくる多宝如来であるのです。
   
多宝如来は滅後にこの宝塔の中にその舎利(遺骨)を納められているのです。
つまり、この宝塔とは多宝如来の豪華で巨大なお墓のようなものなのです。
   
私たちの日本では、家族などが亡くなると石のお墓の中へ納骨しますね。
ところで、日本人の一般庶民層にまで誰もが今のように石塔のような墓を立てる
ようになったのは意外とまだまだその歴史は浅く、やっと明治以降になってから
くらいなのだそうです。
   
この品の見宝塔は今の私たちが持つお墓の基本的な根拠になっているものと思い
ますし、法華経の中で釈迦は盛んにこのような塔をしっかり立てて、その塔を佛
様のように見立てて供養せよと教えています。
   
ただし、こういった供養は過去供養の因果が浅い人たちへの佛のこころをしっか
りと身につけさせるための儀式ということなのです。
   
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ですから、過去前世までにしっかりこういう供養を施してきている人たちはもう
この供養をし終えているので、しなくてもよくなるそうなのです。
つまり、佛への敬いのノルマは過去世までにすっかり済んでいるということなの
でしょうね。
   
しかし、これはどういうことかといえば、過去一切の佛への供養が済んだなら、
それからは自分自身で佛になることに専念しなければならないということかもし
れません。
なぜならば、過去佛への供養は学習をさせてもらっていたことであり、過去佛が
教師なのです。
ですから、教師への感謝やお礼が終われば、今度は教師なしで自分で学習や研究
を探し求めていくということには他ならないからではないでしょうか。
   
ところで、法華経は西暦6世紀には日本へ渡ってきて、その後は急激に日本各地
に寺院などが建てられ、仏教は一気に普及しました。
ですから、古くから武士や貴族階層ではこういった墓を早くから立てていても当
然だったでしょうが、それはほんの一部で、ほとんどの人の遺体はただそのまま
土葬されて土を盛り上げて、その上に丸い石などを置いていた程度のものだった
ようです。
   
今までこれほど早くから仏教は瞬く間に栄えた日本であり、最初から庶民に至る
まで地域のお寺を中心に暮らしてきたと思える民族でありながら、各々の自分の
先祖のお墓を立てて供養するという風習が根付いていなかったというのは最大な
謎と言えるのであります。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
  
その謎1:昔、日本にはお墓を建てる風習がなかったのはなぜなのでしょう?
   
その謎2:「平等大慧・教菩薩法・佛所護念」である妙法華経とは、どういうも
     のなのでしょうか?
 

『お寺は有ってもお墓が無かった昔の日本』・見宝塔品第十一(2)

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法華経 序品第一

 

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2-11

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コメント: 4
  • #1

    ぶっけん (日曜日, 07 6月 2015 20:54)

    『無量義経と法華経の平等大慧』

  • #2

    ぶっけん (日曜日, 07 6月 2015 23:00)

    『お寺は有ってもお墓が無かった昔の日本』

  • #3

    ぶっけん成安田 (月曜日, 11 2月 2019 08:11)

    今日、建国記念の日に見宝塔品第十一のお経を読みました。
    この見宝塔品では多宝仏と釈迦仏を二如来と呼び、その二如来が仲良く座を分け合って並んで座るシーンが見事です。
    ところで、この品で初めて多宝仏も釈迦仏も如来なのであるということがはっきりするのです。
    如来は仏様のことですが、如来の十號といって、如来には本来の十の呼び名があるのです。その十號の中の一つに仏という呼び名が含まれているのです。また、釈迦如来以外にも数知れない多くの如来が存在していますが、如来は皆同じ十號の呼び名が付属しているのです。
    ところで、お釈迦様の別称としてよく仏陀と呼ぶことが普及しているようです。しかし、如来の十號の中には仏陀という呼び名は無いのです。
    各々の如来にはなぜ十種類の呼び名が付属しているかといえば、それは恐らく十種類の世界へ降りて来れる仏様だからではないでしょうか。きっと十種類の世界各々に如来が降りてきている場合の呼び名があるのでしょう。

  • #4

    昭和舎利ホツ (木曜日, 28 5月 2020 15:15)

    佛の十號ですか。人は、人間から始まって是の御仁というように呼び名が文字で変化しています。佛といっても人が弓を縛っていると聴いています。
    さとりにも「智」「覚」「悟」等あるように佛にも段階があるようです。一番下の如来とは、菩薩の十地最後の修業地の「法雲地」のことですでに佛の境界地で次の如来地に入れる方を意味しており「苦の衆生に攝っして道迹に入れる」修業をされています。十號は
    https://kotobank.jp/word/%E5%8D%81%E5%8F%B7-76931
    でもあるようにせつが繰り広げられ、本当のところは、わからないようです。如来も佛まで上がらなければなりません。求めるならば(いわゆる求道者)ですが、菩薩と如来の区別がしにくいのです。求道者ならば、接する人はすべて佛と思えと教えられています。もし、人が佛のための故に諸々の形像を建立し刻彫すれば、その衆生は吉相に成るというのです。そのひとたちは、皆すでに佛道を歩んでいる。とお経に認められています(方便品)。お経は分別が必要で染まらず勝手耳にならないよう心の窓を開けておくよう心がけることが肝要と思います。
    佛をつくるのは、世尊の御役です。釈迦牟尼世尊が説く、「平等大慧教菩薩法佛所護念の妙法華経」の教菩薩法に期待します。菩薩の初地である「歓喜地」にむかうために歓喜し奉行しきではじまるのです。