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第3-1日 Vol.57  学・無学人および菩薩摩訶薩も倶なり 【序品第一】(七~十六行)

法華経 序品第一

 
★★ きょうの謎!
   
その謎1:学・無学とは、まだ学ぶことが残っている者と学ぶことがもう何も残っ

     ていない者という意味ということですが、詳しくはどういうことでしょ

     うか?
   
その謎2:阿羅漢である声聞弟子と菩薩の存在区分の違いがいまだまだはっきりし

     ませんが、釈迦からは両者への教えは区分して別々な指導をする必要が

     あるということでしょうか?
 

 

 
■■第3-1日 Vol.57

 

   
 学・無学人および菩薩摩訶薩も倶なり
 
  【序品第一】
  (七行~十六行)
 

  
■■今日の一偈一句
  
 マタガク ムガク   ニン   マカハジャハダイ ビクニ ケンゾク  ニン トモ   ラゴラ
 復學・無學の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼、眷屬六千人と倶なり。羅候羅
 
  ハハ ヤシュタラ ビクニ マタケンゾク トモ   ボサツマカサツ  マンニン   ミナ アノクタラ
 の母耶輸陀羅比丘尼、亦眷屬と倶なり。菩薩摩訶薩八萬人あり。皆阿耨多羅三
 
 ミャク ボダイオイ タイテン   ミナダラニ  エ ギョウセツベンザイ   フタイテン ホウリン テン
 藐三菩提に於て退轉せず。皆陀羅尼を得、樂説辯才あつて、不退轉の法輪を轉
 
   ムリョウ   ショブツ クヨウ  ショブツ ミモトオイ モロモロ トクホン ウ   ツネ ショブツ
 じ、無量百千の諸佛を供養し、諸佛の所に於て衆 の徳本を植え、常に諸佛に
 
 ショウタン       エ ジ モッ ミ  オサ  ヨ ブッテ イ   ダイチ ツウダツ
 稱歎せらるることを爲、慈を以て身を修め、善く佛慧に入り、大智を通逹し、
 
 ヒガン イタ ミョウショウアマネ ムリョウ セカイ キコ   ヨ  ムシュ   シュジョウ ド ソ
 彼岸に到り、名稱普く無量の世界に聞えて、能く無數百千の衆生を度す。其の
 
 ナ  モンジュシリボサツ カンゼオンボサツ トクダイセイボサツジョウショウジンボサツ フクソクボサツホウショウ
 名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・常精進菩薩・不休息菩薩・寶掌
 
 ボサツ ヤクオウボサツ ユウゼボサツ ホウガツボサツ ガッコウボサツマンガツボサツダイリキボサツ ムリョウ
 菩薩・藥王菩薩・勇施菩薩・寶月菩薩・月光菩薩・滿月菩薩・大力菩薩・無量

 

 リキボサツ オツ ガイボサツ バツダバラボサツ ミロクボサツ ホウシャクボサツ ドウシボサツ
 力菩薩・越三界菩薩・跋陀婆羅菩薩・彌勒菩薩・寶積菩薩・導師菩薩という。     
                        
    
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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また、学ぶことが残っている者と学ぶことがもう何も残っていない者たち2千人
 
もその場に居た。摩訶波闍波提<マカハジャハダイ>比丘尼は、従者六千人と伴
 
っており。羅候羅<ラゴラ>の母である耶輸陀羅<ヤシュタラ>比丘尼も、また
 
従者と伴っていた。なお菩薩摩訶薩は八万人居た。皆が阿耨多羅三藐三菩提(あ
 
のくたらさんみゃくさんぼだい;この上ない悟り)を得ることを目標にすでに落
 
脱することなく。皆が陀羅尼(だらに;保持の義、語句)を得ており、樂説辯才
 
(ぎょうせつべんざい;弁舌さわやかな才能)があって、不退轉の法輪(ふたい
 
てんのほうりん;逸脱することなく説法する)を展開し、無量・百・千の数の諸
 
佛を供養し、諸佛の所に仕えて多くの善根を植え、常に諸佛に褒め称えられてい
 
て、感謝を持ってその身を仕え、親善に佛の智慧に触れ、大きな志を貫き、彼岸
 
に至り、名称は隅々無量の世界にまで知られていて、落ち度なく無数・百・千の
 
衆生を済度していた。その者等の名を文殊師利(もんじゅしり)菩薩・観世音(
 
かんぜおん)菩薩・得大勢(とくだいせい)菩薩・常精進(じょうしょうじん)
 
菩薩・不休息(ふくそく)菩薩・寶掌(ほうしょう)菩薩・藥王(やくおう)菩
 
薩・勇施(ゆうぜ)菩薩・寶月(ほうがつ)菩薩・月光(がっこう)菩薩・滿月
 
(まんがつ)菩薩・大力(だいりき)菩薩・無量力(むりょうりき)菩薩・越三
 
界(おつさんがい)菩薩・跋陀婆羅(ばつだばら)菩薩・彌勒(みろく)菩薩・
 
寶積(ほうしゃく)菩薩・導師(どうし)菩薩という。     
  
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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この序品の前回までは、釈迦の大弟子であり大阿羅漢などでもある、いわゆる声
聞弟子たちの主要な名前を連ねて公表しました。
そして、その声聞弟子たちは皆すでに煩悩の悩みなどを克服し心の自在を得た修
行達成者ばかりであることが紹介されていましたね。
   
ところで今回は、学・無学の二千人および摩訶波闍波提と耶輸陀羅の眷属、そし
て、八万人の菩薩の中の18人の著名な大菩薩の名前が示されています。
  
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
  
その謎1:学・無学とは、まだ学ぶことが残っている者と学ぶことがもう何も残
     っていない者という意味ということですが、詳しくはどういうことで
     しょうか?
   
その謎2:阿羅漢である声聞弟子と菩薩の存在区分の違いがいまだまだはっきり
     しませんが、釈迦からは両者への教えは区分して別々な指導をする必
     要があるということでしょうか?
     

阿羅漢と菩薩 【序品第一】

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法華経 序品第一

 

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3-1

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コメント: 2
  • #1

    ぶっけん (木曜日, 28 5月 2015 00:10)

    『阿羅漢という新組織体制』

  • #2

    ぶっけん成安田 (水曜日, 01 3月 2017 11:18)

    法律をしているからと宗教をしていることにはならない、宗教をして法律をすることだ
     
    法律上の契約行為をすれば、それで宗教儀式を済ませたと思い込むのは大きな間違いである。
     
    宗教と法律との根本的違いは、宗教上の人種の扱いには弱い者・強い者との違いで生き方が区分されている点である。
    これは仏教でもキリスト教でも同じく教典に記されている。
    それに対し法律とは、人民一律の平等性の原則を記したものである。
     
    ところで、世の中の正しい者を褒め称え、罪ある者には強い罰を課せることは宗教も法律もほぼ同じだろうが、罪人に対してはどちらかといえば法律の方が現実的に厳しく執行権を強く行使できる。
    この刑罰の実施については、法律が宗教上に存在するからこそできるのである。
    ただ、法律で規制できないのは、元々の弱者・強者の区分的配慮のことである。
     
    だから、人民一律に決まっている契約様式を守ったとして、それで宗教上の弱者・強者の区分も守られたと思い込むのは大きな間違いであるのだ。
    契約を実行する者は、その前に宗教を知ってから行うのが最もの原則である。
    契約した後で宗教を知ろうとするのは遅いのである。