第7-14日 Vol.182  寡女・處女及び諸の不男 【安楽行品第十四】(四十一~四十八行)

安楽行品第十四 法華経


★★ きょうの謎!
 
その謎1:行處・親近處の處とはもともと何を意味するのでしょうか?
 
その謎2:人里離れての孤立した乞食な修行には一人の比丘をひきいるとはどういうことで

     しょうか?
 
  
■■第7-14日 Vol.182
 
 寡女・處女及び諸の不男
 
  【安楽行品第十四】
  (四十一~四十八行)
   
■■今日の一偈一句
 
  カニョ  ショニョ オヨ モロモロ フナン  ミナシンゴン   モッ シンコウ ナ       マタ ト
  寡女・處女 及び諸 の不男に 皆親近して 以て親厚を爲すことなかれ 亦屑
 
  ニ  ケエ デンリョウ ゴブ リ タメ サツガイ   シンゴン        ニク ト
  兒・魁膾 畋猟・漁捕 利の爲に殺害するに 親近することなかれ 肉を販つて
 
  ジカツ  ニョシキ ケンマイ   カク ゴト  ヒト  ミナシンゴン       クケン ソウボク
  自活し 女色を衒賣する 是の如きの人に 皆親近することなかれ 凶險の相撲
 
   シュジュ キケ モロモロ インニョトウ  コトゴト シンゴン       ヒトリビョウショ   ニョ
   種種の嬉戲 諸 の婬女等に 盡 く親近することなかれ 獨屏處にして 女
 
   タメ ホウ ト        モ ホウ ト   トキ   ケショウ    ウ
  の爲に法を説くことなかれ 若し法を説かん時には 戲笑すること得ることなか
 
    サト イ   コツジキ    ヒト  ビク  ヒキ   モ ビク       シン
  れ 里に入つて乞食せんには 一りの比丘を將いよ 若し比丘なくんば 一心に
 
  ホトケ ネン   コ スナワ ナヅ  ギョウショゴンショ
  佛を念ぜよ 是れ則ち名けて 行處・近處とす
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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 寡女(かにょ:後家、未亡人など再婚していない女性・寡婦)・處女 及び諸 の
 
不男(ふなん:不実な男性・ぶおとことも読む・不男不女のことを性別倒錯という)
 
に 皆親近して それにより親交を厚くすることなかれ また屑兒(とに:動物を殺
 
す者)・魁膾(けえ:動物の肉を料理する者) 畋猟(でんりょう:動物を捕獲する
 
狩人)・漁捕(ごぶ:魚を捕獲する者) それらは利益の為に殺害する者たちである
 
から 親近することなかれ 肉を販売して生活を成り立たせ 女色を衒賣(けんまい
 
:商人の真似事をして売りさばく)する このような人に 皆親近することなかれ 
 
危険な技を見せて喜ばせる格闘術 さまざまなおどけ舞踊 諸々の婬女等に ことご
 
とく親近することなかれ 人目のつかぬ暗く狭いところにて 女の為に法を説くこと
 
なかれ もし法を説く時には おどけ笑いを得るようなことなかれ 山里に入って清
 
貧な修行をするには 一人の比丘を連れて行くこと もしそういう比丘がいなければ
 
 一心に佛を念ぜよ これらすなわち名づけて 行處・近處とする
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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今回は、前回までの行處と親近處に対する説明の偈の続きになります。
前回までと同様に釈迦は文殊師利に対し普段から心を乱されるような者には一切近づ
いてはいけないと、厳しく警告を与えています。
 
ところで前回の行處・親近處に対する規制対象は、国王や大臣、外道、増上慢の人、
三蔵学者、勢力ある比丘などであって、どちらかというと攻撃などを仕掛けられて必
要以外の制裁までをもたらし易い相手、つまり権力の強い者から遠ざかることを教え
ていたようですね。
 
それに対し今回は、寡婦や処女、不男不女、狩人、漁船民、食肉のまがいな売人、危
険心理やおどけを装って見物させる立ち振る舞いの者、淫女等への社会的身分が明ら
かに低められているような相手への親近規制であって、同じような仲間になって自惚
れたり、他へ迷惑をかけたり、あえて取りさばきの対象となるような自身が加害的立
場になり易い要素から離れなさいと言っているようです。

そして、行ない、つまり行處の規制に対しては、女人に法を説く場合には人目にもつ
かず誰も近づかないような陰湿で狭い場所を選んではいけないとし、薄笑いを浮かべ
たり、おどけ笑いを得ようとしてはならず、もし山里へ篭って質素で清貧な修行をし
ようとするなら一人の比丘を付き添いに用いるべきであって、もし比丘が居ないなら
一心に佛に思いを込めて勤めることだと教えました。
 
以上を行處・近處というそうです。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:行處・親近處の處とはもともと何を意味するのでしょうか?
 
その謎2:人里離れての孤立した乞食な修行には一人の比丘をひきいるとはどういう
     ことでしょうか?
 

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法華経 序品第一

 

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7-14

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コメント: 5
  • #1

    安田 和正 (木曜日, 13 11月 2014 22:00)

    行處・親近處の處とは単なる安全な場所や環境で保護されることや避難するということだけではなく、自分でしつけたり、自身の処遇をどのように始末したり、取りさばいて、けじめをしっかり見極める精神の中身といったものでもあるようです。

  • #2

    安田 和正 (木曜日, 13 11月 2014 22:01)

    何かと女人の引き起こす問題は一まとめに生まれつきの罪障が原因であるとして、その都度丸め込まれるしかない長い歴史があって、女人の引きずるその大きな因縁は釈迦であっても直しようも無く、諦めてそれを真実に近い原因と想定して認めざるを得ない現実といえるのでしょう。

  • #3

    ぶっけん (火曜日, 14 11月 2017 17:03)

    世の中の罪悪と言われる人物には近づかないことです。
    大丈夫と思う気持ちは用心が足りません。
    世の中の罪悪と言われる人物には近づかないことです。
    適当に大丈夫と思う気持ちは用心が足りません。
    交流する相手によって運命がかなり異なる。
    これは若いうちに解かるでしょうが、それがどれほど長引く力を持っているかは計り知れないものです。
    若い時の人脈ははっきりその後の人生を良くも悪くも左右するほどの長い因縁なのです。
    注意を重ねて生きなさいという安楽行品です。
     
    (ぶっけん 成安田)

  • #4

    ぶっけん (火曜日, 14 11月 2017 17:32)

    学校で覚えたことは私の秘密のメモリーであり、個人的なトライだけに用いたい。
    私が社会で言いたいことは秘密のメモリーを無駄に費やさないことである。

  • #5

    NariYasu (火曜日, 16 7月 2019 08:25)

    仏の方便と悪魔の方便
    どちらも上手い誘導が得意だが、

    神だけは嘘をつかない