第10-14日 Vol.264  心安穏にして 怯弱あることなけん 【安楽行品第十四】(五十七~六十二行)

安楽行品第十四 法華経


★★ きょうの謎!
 
その謎1:佛の滅後、比丘が行處及び親近處に入ることで、恐れなく法華経を説法

     できるようになることと、菩薩が初めの法に安住して、恐れなく法華経

     を説法できるようになることとはどちらも同じということでしょうか?
 
その謎2:行處・親近處に安住することと経を説くことを修行のセットと考えれば

     良いのでしょうか?
 
 
■■第10-14日  Vol.264
 
 心安穏にして 怯弱あることなけん
 
  【安楽行品第十四】
  (五十七~六十二行)
   
■■今日の一偈一句
 
  モ  ビク    ワ  メツゴ オイ  コ ギョウショオヨ シンゴンショ イ   コ キョウ
  若し比丘あつて 我が滅後に於て 是の行處 及び親近處に入つて 斯の經
  
   ト  トキ   コウニャク       ボサツ トキ   ジョウシツ イ  ショウオクネン
  を説かん時には 怯弱あることなけん 菩薩時あつて 静室に入り 正憶念
  
   モッ  ギ シタガ ホウ カン  ゼンジョウ タ  モロモロ コクオウ オウジ ジンミン バ
  を以て 義に随つて法を觀じ 禪定より起つて 諸の國王 王子・臣民 婆
  
  ラモントウ タメ   カイケ エンチョウ   コ キョウデン ト   ソ ココロアンノン   コウ
  羅門等の爲に 開化し演暢して 斯の經典を説かば 其の心安穏にして 怯
  
  ニャク       モンジュシリ  コ  ボサツ  ハジメ ホウ アンジュウ  ヨ ノチ
  弱あることなけん 文殊師利 是れを菩薩の 初の法に安住して 能く後の
  
  ヨ オイ   ホケキョウ ト  ナヅ
  世に於て 法華經を説くと名く

 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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 もし比丘が居て 我が滅後に於て この行處 及び親近處に入って この法華
 
 経を説いた時には 怯弱(こうにゃく:意気消沈、怯え)はないのである 菩
 
 薩が時を同じくして 静かな室に入り 正憶念(しょうおくねん:思惟)を図
 
 って 義に随って法を観察し 禅定の座より起って 諸々の国王 王子・臣民
 
  婆羅門等の為に 開化し流暢に心地よく演説して この経典を説けば その
 
 心は安穏に至り 怯弱あることなし 文殊師利 これを菩薩の 初めの法に安
 
 住して 正しく後の世に於て 法華経を説くという

 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回、釈迦は文殊師利菩薩へ、偈の中で菩薩の行處と初の親近處である智者の
所親近處に次いで、近處、即ち第二の親近處のことを説明しました。
 
その第二の親近處であるこの近處とは、錯覚を引き起こしていることにより 諸
法への勝手な拘りを懐き、どちらか判断付かない動揺心のままにの無理に物事を
あれこれ推し進めようとしている者へ、閑静な所に身を置いて、転倒の心を修養
し心掛けて安住して心が動じないようにすること勧めているものでした。
 
そして、一切の法を観察するに皆その存在は無いとし、なおも虚空の如くである
こと、そして堅固になる必要はなく、生死をさ迷うことなく動揺せず退転せず、
常住であることだけのただ一相であるのが近處であるということでした。
 
今回は、もし比丘が居たとして、釈迦自身の滅後に於て、この今まで説明した行
處及び親近處に入って、法華経を説いたならば、その時はもう怯え恐れるものは
何も無いということです。
 
それに対し、菩薩がその時を同じくして、ただ一人静かな室に入って、心を一つ
に落ち着けて、素直に自分の心の判断に随って法を観察したら、次にはその禅定
の座から起ち上って、諸々の国王、王子・臣民、婆羅門等の爲に、化作の門を開
き広くのびのび演説してこの経を説けば、その心は安穏に至り 恐れ怯えること
はもう何も無いということで、釈迦は文殊師利菩薩に対し、これを菩薩の初めの
法、即ち第一の法に安住して、上手く後の世に於て法華経を説くと名付けました。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:佛の滅後、比丘が行處及び親近處に入ることで、恐れなく法華経を説
     法できるようになることと、菩薩が初めの法に安住して、恐れなく法
     華経を説法できるようになることとはどちらも同じということでしょ
     うか?
 
その謎2:行處・親近處に安住することと経を説くことを修行のセットと考えれ
     ば良いのでしょうか?
 

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法華経 序品第一

 

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10-14

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コメント: 2
  • #1

    安田 和正 (金曜日, 13 2月 2015 22:37)

    失敗につまづいた者は真実一路より方便理解。

  • #2

    ぶっけん (木曜日, 13 10月 2016 19:00)

    一般私たちにとって一番わかりやすい仏教の修業イメージがこの安楽行品第十四だと思います。
    なぜなら、法華経の中でこの品だけは他の品にはあまり感じられない通常の心を落ち着けて物事をじっくり考える大切さを教えているところだからです。
    ところで、私たちは何か学校のような、あえて普段の自由を規制して教える機関でもなければ自分一人だけで精神を磨くなんてことはありませんし、心を決めてしようと思っていても中々子供の頃ほどはできなくなっているのが現実かと思います。
     
    ですから、私は法華経をぜひ勧めたいのです。
    仏教とは古くから想定された教えなのではなく、ありのままの今の現実に直面した不可思議な社会に直に身を置く姿で知恵を考え抜かせるのです。よって、実際に厳しい今の世の中そのものが修業テキストに沿った問題集でもあるのですから、知らずにも修行の実体験をしながら仏教に挑むことで初めてわかってくるのです。
    その中でこの安楽行品は少し歩を止めてあえて心して休むことを教えているのです。