第10-16日 Vol.266  若し如來常に在つて滅せずと見ば 【如来寿量品第十六】(四十八~五十三行)



★★ きょうの謎!
 
その謎1:前回は「若し佛・・」、今回は「若し如來・・」となっているのは、あ

     えて違いがあるのでしょうか?
 
その謎2:釈迦は比丘に対し、如來とは見ることが実際は困難である事実のこと

     を、残念に思わせようとしているのか、それともそれほど会い難い如來

     に今会っている幸せを喜ばせたいのか、どちらなのでしょう?
 
 
■■第10-16日  Vol.266
 
 若し如來常に在つて滅せずと見ば
 
  【如来寿量品第十六】
  (四十八~五十三行)
 
■■今日の一偈一句
 
 モ ニョライ ツネ ア  メッ   ミ  スナワ キョウシ オコ  エンダイ イダ ナンゾウ オモイ
 若し如來常に在つて滅せずと見ば、便ち驕恣を起して厭怠を懷き、難遭の想・
 
 クギョウココロ ショウ   アタ    コ ユエ ニョライ ホウベン モッ ト  ビクマサ  シ
 恭敬の心を生ずること能わず。是の故に如來、方便を以て説く、比丘當に知る
 
    ショブツ シュッセ チグウ     カタ   ユエ イカ  モロモロ ハクトク ヒト  ム
 べし、諸佛の出世には値遇すべきこと難し。所以は何ん、諸 の薄徳の人は無
 
 リョウヒャクセンマンノッコウ ス  アルイ ホトケ ミ    アルイ ミ  モノ   コ ジ モッ
 量百千萬億劫を過ぎて、或は佛を見るあり、或は見ざる者あり。此の事を以て
 
  ユエ ワレコ コトバ   モロモロ ビク ニョライ ミ    ウ    カタ
 の故に我是の言をなす、諸の比丘、如來は見ること得べきこと難しと。
 
 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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もし如來が常に在して滅しないことを見れば、便に適ったように驕恣(きょうし
 
:おごりたかぶって、ほしいままに振る舞う無神経なこと、またはその考えや有
 
様)を起こして厭怠(えんだい:嫌気がさして怠ける)を懐き、難遭の不安な想
 
いと恭敬の心を生ずることがなくなる。この故に如來は、方便を用いて説くので
 
ある、比丘よまさに知るべし、諸佛の出現する世には遭遇に値すべきことは難し
 
いということを。それはなぜかと言えば、諸々の薄徳の人は無量百千萬億劫を過
 
ぎても、たまたま佛を見ることあれば、たまたま見ざる者もある。この事実をも
 
っての故に我はこの言葉をなすのだ、諸々の比丘よ、如來は見ることを必ずや得
 
るということは難しいと。
 
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回まで釈迦は、諸々の善男子に対し、つまり大菩薩衆に告げていました。
それは釈迦自身が昔菩薩修行をすることで得た寿命は今の今までまだ盡きていな
いと言い、されども今まさに滅度をすると提唱することに対し、それは如來の方
便の滅度なのであって、真実の滅度ではないと教えました。
 
そして、それはどういう理由なのかを説明すれば、もし佛が長らくこの世に住す
れば、徳の薄い人は善根を植えず、貧しい窮地の卑しい身分になり五欲に貪著し
妄想の網の中に埋もれてしまうからだと言いました。
 
今回釈迦は、もし如來が常にこの世に存在して滅しないということを見れば、す
なわち無神経な考えを起こして嫌気な怠け心を懐いて、難に遭遇する想いや恭敬
する心を生ずることをできなくなる。
このゆえに如來は、方便を用いて説くのであると言いました。
 
そして、釈迦はここで、前回までの大菩薩衆に対してから今度は比丘に対し、ま
さに知るべきことだと言い変え、諸佛がこの世へ出現することに出会うことにな
ることは難しいことなのだと告げ、その理由は、諸々の徳の薄い人は無量百千萬
億劫を過ぎ去っても、或る人は佛を見ることがあり、また或る人は見ざる者もあ
るためであると言い、この事実があるゆえに釈迦はあえて次のように言うのだそ
うです。
 
「諸々の比丘よ、如來とは見ることができるようになることは難しいものだ」と。
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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その謎1:前回は「若し佛・・」、今回は「若し如來・・」となっているのは、
     あえて違いがあるのでしょうか?
 
その謎2:釈迦は比丘に対し、如來とは見ることが実際は困難である事実のこと
     を、残念に思わせようとしているのか、それともそれほど会い難い如
     來に今会っている幸せを喜ばせたいのか、どちらなのでしょう?
 

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★★ 今日も、お読みいただきありがとうございました ★★

 

本日品のその後の続き文、【今日の謎!の答え、解説など詳細満載】

 4. 今 日 の 知 識 !  (道)
 5. 今 日 の 解 脱 !  (解)

 6. 今 日 の 振 返 り ! (脱)

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10-16

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コメント: 3
  • #1

    安田 和正 (月曜日, 16 2月 2015 04:04)

    方便で二重の徳を説く

  • #2

    ぶっけん (日曜日, 16 10月 2016 22:13)

    我々は世界である たとえそれがもう帰ってこれなくても
    我々の過去は憧れだ

  • #3

    ぶっけん安成 (金曜日, 16 2月 2018 10:11)

    神や仏に頼らず、人同士で試練を乗り越えていくことはとても苦しい至難の業です。
    しかし、人同士だけで至難の技を身に付ける心を持たずして、すべてを神や仏だけに任せて大丈夫と安易に考え続ければ神や仏の怒りは絶頂に達してしまいます。

    この法華経最大の山場といわれる如来寿量品第十六はその重要性について記されてあります。
    仏様は最初如来としてこの世に現れて説法を解いた後、あえてこの世から去って二度と戻って来ないように見せかけるというのです。
    つまり、仏様は実際には死んではいないけれど衆生に対してはもう死んで居なくなったふりをするということです。
    仏様はそのような知恵な方便を用いて衆生に神や仏はもうこの世に居ないことを覚悟させて何とか自分たちだけで試練を乗り越える努力を身につけさせることを教えるということなのです。

    (ぶっけん安成)

    Do not depend on God and Buddha, it is very difficult to overcome the challenges between people.
    However, if you do not have the mind to acquire skills that are difficult only by people, leave everything alone to God and Buddha, keep on thinking with ease, the anger of God and Buddha will reach culmination.

    The Tathagata Longevity No. 16, which is said to be the biggest mountain range of the Lotus Sutra, is described about its importance.
    The Buddha first appears in this world as a Tathagata and solves the method, it dares to leave the world to make it look like never to come back again.
    In other words, Buddha does not actually die but pretends to be a dead for sentient beings.
    Buddha is to teach sentient beings to prepare that God and Buddha are no longer in this world using such wisdomful methods and to somehow learn the effort to overcome the trials only by themselves.

    (Booken Yasunari)