第11-13日 Vol.290  我身命を愛せず 但無上道を惜む 【勧持品第十三】(五十八~六十五行)

法華経 勸持品第十三

 
★★ きょうの謎!
 
その謎1:この偈を説く菩薩摩訶薩たちは、來世の濁悪世に於ては佛が居ないので

     自分たちだけで戦うことは忍ぶべきだと主張しているのでしょうか?
 
その謎2:この菩薩摩訶薩たちは、濁悪世では菩薩たちだけでなく衆生誰も皆、悪

     比丘たちによる屈辱を我慢し、平等に忍ぶべき心がけを持つようになる

     よう佛からはっきり示してほしいと願っているのでしょうか?
 
 
■■第11-13日  Vol.290
 
 我身命を愛せず 但無上道を惜む
 
  【勧持品第十三】
  (五十八~六十五行)
 
■■今日の一偈一句
 
  ジョッコウアクセ ナカ  オオ モロモロ  クフ    アッキ ソ  ミ イ    ワレ メリ
  濁劫惡世の中には 多く諸 の恐怖あらん 惡鬼其の身に入つて 我を罵詈
  
  キニク   ワレラ ホトケ キョウシン  マサ ニンニク ヨロイ キ    コ キョウ ト
  毀辱せん 我等佛を敬信して 當に忍辱の鎧を著るべし 是の經を説かんが
  
  タメ ユエ  コ モロモロ  ナンジ シノ  ワレシンミョウ アイ  タダムジョウドウ オシ ワレ
  爲の故に 此の諸 の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無上道を惜む 我
  
  ラ ライセ オイ ホトケ ショゾク ゴジ   セソンミズカ マサ シロ     ジョクセ アク
  等來世に於て 佛の所囑を護持せん 世尊自ら當に知しめすべし 濁世の惡
   
  ビク  ホトケ ホウベンズイギショセツ ホウ シ    アック ヒンジュク  シバシバヒンズイ
  比丘は 佛の方便 隨宜所説の法を知らず 惡口して顰蹙し 數數擯出せら
  
    トウジ オンリ    カク ゴトラ ショアク   ホトケ ゴウチョクオモ  ユエ  ミナマサ
  れ 塔寺を遠離せん 是の如き等の衆惡をも 佛の告勅を念うが故に 皆當
  
   コ  ジ シノ
  に是の事を忍ぶべし

 
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  1. 今 日 の 解 読 !  (苦)
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 濁劫悪世(じょっこう:時期の乱れ(見濁・煩悩濁・衆生濁・寿命濁)、即ち
 
 劫濁が起きて恐るべき悪い時代)の中には 多く諸々の恐怖が起こることでし
 
 ょう 悪鬼がその身に入って 我自身を罵詈(めり:ののしる)毀辱(きにく
 
 :傷つけ辱める)せん 我等はそれでも佛を敬い信じて しっかりと忍辱(に
 
 んにく:辱めを忍んで怒らず心の安定している状態を保つ)の鎧を着用します
 
  この経を説こうとするが為の故に この諸々の難事を忍びます 我は自分の
 
 身命を愛しません ただ無上道だけを惜しみます 我等は來世に於て 佛の所
 
 する委嘱を護持します 世尊さま自ら確かに知しめしてほしいのです 濁世の
 
 悪比丘は 佛の方便 隨宜所説の法を知らないのです 悪口を叩き顰蹙(ひん
 
 じゅく:眉をひそめる)し 頻繁に擯出(ひんずい:排斥、のけもの、追放)
 
 せられ 塔や寺を遠ざけ離れさせようとするのです このように等しい衆生の
 
 悪をも 佛の告勅(ごうちょく:命令、告示、勅令)を同様に願うが故に 皆
 
 しっかりこの事を忍ぶべきです
  
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  2. 今 日 の 説 法 !  (集)
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前回は、釈迦に対してこの先のどんな軽薄な言葉に対しても自らに忍んで我慢す
ることを示す八十万億那由他の菩薩摩訶薩たちの誓言の偈二十行のうち7行から
12行目の部分でした。
 
その内容は、利供養を貪る外道の論議を説く比丘たちがどのような言葉を浴びせ
るかと言えば、菩薩たちのことを自ら経典を作って世間の人々を誑惑して名聞を
求めるために分別して説いていると浴びせるそうです。
常に大衆の中に行っては菩薩たちを阻止する狙いで国王・大臣など他の比丘に向
って菩薩の悪点を評し邪見で外道の論議を説く者と言いふらすそうです。
我等菩薩たちは、佛を敬順している故にしっかりこの悪を忍べば、これに付け込
み軽薄に汝らは皆佛であるなど言う軽慢な言葉を言われようと皆まさに忍んで受
けるつもりであることを主張しました。
 
今回は前回に続く偈の12行から17行目までであり、漢文に直すと次のように
なります。 
 
             濁劫惡世中 多有諸恐怖
 
 惡鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信佛 當著忍辱鎧
 
 爲説是經故 忍此諸難事 我不愛身命 但惜無上道
 
 我等於来世 護持佛所囑 世尊自當知 濁世惡比丘
 
 不知佛方便 随宜所説法 惡口而顰蹙 數數見擯出
 
 遠離於塔寺 如是等衆惡 念佛告敕故 皆當忍是事
 
 
劫濁が起きて恐るべき悪い時代の中には さまざま多くの恐怖が起こることでし 
ょう 
 
悪鬼が自分の身に入って 我自身を罵り傷つけて辱めるでしょう 我等はそれで
も佛を敬い信じて しっかりと辱めを忍んで怒らず心の安定を図る鎧を身に付け
ればなりません
 
この経を説こうとするが為の故に この諸々の難事を忍びます 我は自分の身命
を愛しません ただ無上道だけを惜しみます
 
我等は來世に於て 佛の所する委嘱を護持します 世尊さま自ら確かに知しめし
てほしいのです 濁世の悪比丘は
 
佛の方便 隨宜所説の法を知らないのです 悪口を叩き眉をひそめては 数々の
追放をこころみ
 
塔や寺への信仰を遠ざけ離れさせようとするのです このような比丘に等しい衆
生の悪をも 佛の勅令を同様に願うが故に 皆しっかりこの事を忍ぶべきです
 
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  3. 今 日 の 謎 !   (滅)
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まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!
 
その謎1:この偈を説く菩薩摩訶薩たちは、來世の濁悪世に於ては佛が居ないの
     で自分たちだけで戦うことは忍ぶべきだと主張しているのでしょうか?
 
その謎2:この菩薩摩訶薩たちは、濁悪世では菩薩たちだけでなく衆生誰も皆、
     悪比丘たちによる屈辱を我慢し、平等に忍ぶべき心がけを持つように
     なるよう佛からはっきり示してほしいと願っているのでしょうか?
 

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法華経 序品第一

 

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11-13

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コメント: 4
  • #1

    安田 和正 (金曜日, 13 3月 2015 22:34)

    『文脈の不思議は、そのまま人生や取引の不思議、興味涌く所に変化あり』

  • #2

    ぶっけん (土曜日, 12 11月 2016 21:23)

    管理者たる者は、自分で戸惑って取り乱してはいられません。
    だから仏も自分で行うより、修行者が自身の判断と勇気で行うことのほうへ依存しているのです。

  • #3

    ぶっけん成安田 (火曜日, 13 3月 2018 21:08)

    『我、身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ』
    これは修行者が仏に対して発した有名な言葉です。
    この切羽詰まった言葉にはかなり大切な謎が含まれているのです。
    一見、修行者として命を捨ててでも、ひたすら仏道だけを大切にするという意味に考えられますね。
    さらにもう少し詳しく解説してみますと、「私は、今すぐにも自身の持つすべてを尽くさずにはいられない、但し仏の教えだけを守る遙か長い道のりを捨て切れない」
    つまり、自力か他力かの究極の判断に迷っている修行者の焦りと悩みが表されているはずです。

    この焦りと悩みが法華経を本心から必要としているということです。

    (ぶっけん成安田)

  • #4

    ぶっけん成安田 (金曜日, 13 4月 2018 10:17)

    この世には不可思議な因縁があるからこそ生きている意味があるのではないでしょうか?
    科学では解明できない日常数々の自分自身に関する社会との関り合いを誰もが考えない日はないでしょう。
    また、それを積極的になるべく多く考えるべきです。
    来る日も来る日も同じ一つのことばかり考えても正確な答えは見つかりにくいというのが正式な真実の答えだからです。
    現在もうそれははっきりしているしているのです。
     
    (ぶっけん成安田)