序品第一 釈迦現われる

   釈迦牟尼佛、堂々登場  序品第一
   ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

      MailING!日月説法    法華經二十八品全到達への道!
    
   ▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△
   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   法華經二十八品を一日一品づつ、毎月毎日少しずつの解読を繰り返しお
   届けします!毎月ごとに全二十八品が一巡し、全あらすじが毎度月末に
   終了し、そしてまた新しい月が始まります。
   
   一日僅かずつの解読知識で長い長い月々一日の自信と活力ある人生をみ
   んなで勝ち取りましょう。
   苦しみも悲しみも、この「MailING!日月説法」の法華經解読で全て解決
   できます。

   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   ■■第1号 2014年4月1日


    釈迦牟尼佛、堂々登場   序品第一


   ■■今日の一偈一句


   「爾の時に佛眉間白毫相の光を放つて、東方萬八千の世界を照したもう
   
   に周偏せざることなし。下阿鼻地獄に至り、上阿迦尼叱天に至る。」


                        (法華經序品第一より)
    
   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

   ________________________________

      1. 今 日 の 解 読 !   (苦)
   ________________________________


   釈迦が生前のある時期、お住みになっていたという王舍城の耆闍崛山と
   いう修行道場へ、何があったのでしょう?釈迦のすべての弟子および修
   行者たち数万人、そして世界様々の王様たちが各々眷屬を引き連れて皆
   集っていました。
   そこへ、釈迦は何も言わず堂々と登場するやいなや、無量義という大乗
   經を説き出したのでした。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   この經を説き終わると釈迦佛は、そのまま正座したお姿でじっと静かに
   動かないままになりました。
   すると、天から曼陀羅華・曼殊沙華の花が会場へ降り散じ、大地は六種
   類に震動しました。
   そこにいる大衆は皆、この珍しい現象に歓喜し合掌して一心に釈迦佛を
   じっと見つめました。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   すると、その時に釈迦佛は額の眉間から白毫相の鮮やかな神通力の光を
   放って、東方にある一万八千の国々の隅々まで照らしました。
   その光はなんと下は地獄、上は有頂天の世界に至るまでを映し出し、そ
   れはそこに住む全ての衆生の姿や状況でした。


   ________________________________

      2. 今 日 の 説 法 !   (集)
   ________________________________


   最初に少しお伝えしておきますが、法華經は全二十八品、つまり第一章
   から第二十八章で構成されています。
   この序品第一は第一章になるのですが、最初に法華經の編纂が始まった
   といわれる西暦50年頃にはなかったものを、西暦100年頃に付け加えられ
   たものといわれています。
   この序品第一は、法華經全体に前書きを提供し、あらすじに謎とヒント
   を与え、全体を説きやすくするために、あえて付け加えられた品だと考
   えて良いと思いますね。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   しかし、一通り全体を何度も何度も読み通さないとこの序品の意味すら
   さっぱりわからないという難しい品です。
   来月の一日には再びこの序品第一についての説法になりますから、毎月
   一日のこの序品第一を全体と照らし合わせて少しずつ理解してみてくだ
   さい。
   毎月毎月の気付きの進歩は驚くほど成長しますから、すごくラッキーで
   楽しみな1ヶ月になりますよ!


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   前置きが長くなりましたが、それではさっそく本題に入りましょう!先
   ず、釈迦とは、大変巧妙で謎深い佛様だと考えてみてください。
   通常の習慣的な仏教に対する既成概念はとりあえず捨て去り、この法華
   經に出てくる釈迦には測り知れないカラクリばかりが隠されていると考
   えたほうが、頭がスッキリ回転が良くなり法華經を解読するのにまさに
   当を得た方法だと思います。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   ところで、最初からズバリ大きな謎が発生します。
   それは大衆の前に現れた釈迦がなんと法華經ではなく無量義經という違
   うお経を読み始めたということです。
   今風のジョークであると想定すれば、釈迦はうっかり大事な大衆の席で
   法華經というテーマの講演の初っ端にまったく違うお経を唱えてしまっ
   たということにも思えます。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   そのうえに間違えたショックの大きさか、無言で疑問の境地に入りこみ、
   ガックリ動かなくなった釈迦の上に、その場を凌ぐかのように用意され
   た祝いのくす玉がそのまま自動的に割れ、色とりどりの紙吹雪や紙テー
   プが舞ってきてファンファーレが鳴ったと思ったら、何故か突然大地震
   が起き大地全体が揺れだしたということになりましょうか?


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   そんな最中にも大衆は不安になるどころか、あらかじめ予定していたか
   のように大変珍しい演出効果であると敬い、その素晴らしさに歓喜し、
   一心に観たて奉ったその時に、釈迦は遂にオーバーヒートして仏様であ
   りながらナント大神通の光を眉間から放出し、太陽の出でる東方の国々
   へ向かって地獄から有頂天の端端まで不祥事を曝け出してしまったとい
   う、取り返しのつかないことになってしまったように思えるのです。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴


   ________________________________

      3. 今 日 の 謎 !   (滅) 
   ________________________________


   まず、今日の謎を整理して見ることにしましょう!


   その謎1:法華經でありながら釈迦は何故、最初から無量義經を唱えた
        のでしょう?


   その謎2:仏様であるはずの釈迦が何故、神通力による白毫相の光を放
        ったのでしょう?


   ________________________________

      4. 今 日 の 知 識 !   (道)
   ________________________________


   法華經は、別名として妙法蓮華經または妙法華經、或は単に妙法ともい
   います。
   釈迦は古くから存在する数々のお経を説かれましたが、中でも法華經は、
   壽命80歳で入滅する8年前になってようやく悟ることのできた最終的
   で一番難しいお経であるといわれます。
   また、釈迦は真実で最高の悟りがこの法華經により達成されたことが説
   かれています。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   今、私たちが通常読む法華經の内容は釈迦入滅後、大よそ700年乃至1,3
   00年後になってやっと最終的に完成したといわれます。
   そして今、最も普及しているのは三部經といって、無量義經と妙法蓮華
   經と行法経という三部のお経が1組のセットになったものです。
   そして、無量義經は開經として妙法蓮華經つまり法華經の前に、行法経
   は結經として後に組まれた1冊の本の形になっています。
   つまりこの3つのお経は関連して法華經を形成しています。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   よって、法華經の序品第一で釈迦が最初に無量義經を説いたのは法華經
   と無量義經は実にお互いが関連深いことを暗に示しているのです。
   その関連性は今後読み深めて行って皆さんなりに理解にトライしてみて
   ください。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   次に、釈迦の放つ眉間白毫相の光ですが、釈迦よりもっともっと大昔の
   仏様は皆、三十二相といってお姿や顔立ちなどの外観に32種の大きな特
   徴があったといわれています。
   例えば頭の上に角があるかのように肉が盛り上がっていたり、目鼻立ち
   が異様に大きかったりで、鬼神や魔王のような恐ろしい形相がどの仏様
   にもあったといわれているのです。
   そのうち、眉間白毫相とは佛の眉間に白く右に巻いた旋毛があるという
   三十二相のうちの一つなのです。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   また、神通力のことですが、これも後で意味がわかってくると思います
   が、仏様と神様は別々なのではなく、立場はだいぶ違えどとてもお互い
   が協力し合って私たちを護ってくれているのです。
   釈迦の特異な特徴としては神様の行うことまでも釈迦が行う事です。
   それだけ釈迦は他の仏様より佛力が最強だということなのでしょう。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   私たちは通常、神様は恐そうだが仏様というものはとても優しく私たち
   に接してくれているものと思いがちですが、実はそのイメージだけでは
   仏様を理解していません。
   本来の仏様は私たちに衆生に対し知恵を使ってわざと恐れさせたり、大
   金持ちであるような豪華な強烈イメージを植えつけることも最も大切な
   基本スティタスなのです。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   とにかく、私たち衆生に徹底して好奇心を起させ、仏の存在を完全に植
   えつける、それがなんと言っても一番最初にやっておかなければならな
   い仏様の重要なお仕事だからなのです。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   はじめての今日の日月説法をご理解できましたか?学習というものは、
   一つ一つに些細な疑問を持つことはとても大切なことだと私は思います。
   
   面と向かって疑ってかかっても憎まれたりしないのは勉強だけじゃない
   ですか。
   勉強に疑問を抱き、解決を願うことはその人を大きく成長させます。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   この序品第一ではその後に大衆の中に居た一人の修行菩薩が釈迦の奇妙
   な神力でのお出ましの様子に対し大きな疑問を投げかけるシーンとなっ
   ていくのです。しかしながら、来月1日に発行する各品序品第一は品の
   第一行目からのスタートとしたいと思っています。実は初めてメルマガ
   を発行することで気が焦り、最初を飛ばして品の途中の面白い所からか
   ら入ってしまったのです。こんな調子で一気に今月1週間分くらいの品
   を皆途中から入ってしまっています。そのほうが興味付いてくれるかと
   思ったわけですが、後で考えてとんだアクシデントであり、時間は過ぎ
   去るだけです。どうかご勘弁してもらい、品の第十くらいからは皆第一
   行目から順序だてて説明していきたいと思います。
   
   そんなことで、当面1週間くらいは余興の途中からのシーンで発行させ
   てもらいます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
   お楽しみに!


   ________________________________

      5. 今 日 の 解 説 !   (悟)
   ________________________________


   今日の説法はいかがでししたか?なんだか釈迦のうっかり間違いによる
   最初からのずっこけシーンにも思えてなりませんが、たとえ現代風ある
   いは風刺的にそのように読んだ場合も、また、決してそんなはずはない、
   釈迦なりに伝統に沿った巧妙な知恵による奥底を教えようとしていると
   して読んだ場合も、結果として両者等しく正しい悟りへ導いてくれるの
   が法華經の奇抜な力なのです。


   ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
   
   蓮華の花にはとても珍しい特徴があり、通常の花は花が咲き実を生らせ
   た後に種ができますが、蓮華だけは花が咲いている時すでに種がもう付
   いているのです。
   つまり開花と種が同時でとても縁起が良いとされています。
   このように蓮華には他にはない同時性とともに二面性が同居しているの
   です。
   努力がすぐに報われるという即効性もまたこの法華經の大きな特徴です。
   
   釈迦はこの法華經の二面性の難しさと、即効性の素晴らしさをとても尊
   重したと考えられます。
   現代へ向けて工夫とスピード化の時代到来を釈迦はみごとに完成させた
   と思います。


   ________________________________

      6. 今 日 の 振 り 返 り !
   ________________________________


   最初のメルマガ、あんまり長々と綴ってしまいました。
   次回からはもっと簡単にわかりやすくまとめようと思います。
   ところで、私が中学生の時、現代国語の先生はとてもユニークで変わっ
   た授業をする中年女教師でした。
   (ビシバシの三十二相だったかもしれません)国語の教科書に書かれて
   いる隅々までに物凄く時間を掛けてどこまでも検討を深めさせるという
   妥協を許さない一風変わった先生でした。

   文章一行一行のたびに作者は何を言おうとしているのか、何か疑問はな
   いかを洗いざらい僅かなこと、どうでも良さそうなことまでも徹底的に
   思いついた感想や質問を生徒自身に出させ、それをさらに別の生徒に意
   見や回答をその授業時間すべてを酷使して詳細にさせるのです。
   そんなことしていたら前に進まないし、教科書全部が終わらないと思う
   のですが、不思議としっかり終わっているのです。

   クラスの連帯感が深まる今でも忘れられない特別な思い出になっていま
   す。
   今思うとそんな感じが法華經を読むことへの訓練になっているのかなと
   不思議に思います。

   読んでいただき、誠にありがとうございました。
   末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたし
   ます。


   ________________________________
   ________________________________
   (C) 成安 All rights reserved.

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    jouan167 (水曜日, 15 10月 2014 18:18)

    法華經でありながら釈迦は何故、最初から無量義經を唱えたのでしょう?